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第40回 何のために生きるか

旅行中に感じたもの

東京での仕事に合わせ、金曜日から三泊の箱根旅行をしました。
箱根は初めてでしたが、観光客が多いわりに、雑然とした感じが少なく、落ち着いた佇まいも十分に感じられ、機会があればまた訪れたい観光地の一つです。

ご存知の通り、箱根は、静岡県に近い神奈川県南西部の一角、箱根カルデラ近辺の一帯を指す地名で、古来東海道の要衝であり、「天下の険」と謳われた難所箱根峠のふもとには宿場や関所が置かれ、近代になり保養地・観光地として発展しました。各所に湧く温泉や、芦ノ湖、大涌谷、仙石原などがとりわけ有名であります。

一日に何度ものんびりと空を見ながら温泉につかり、おいしいものを食べて、まさに至福のひと時であります。
ただ、これを一週間続けるとなると、果たして楽しいのか、はたまた苦痛なのか考えてしまいました。
日頃忙しくしているからこそ、たまの休暇が楽しく感じられるのでしょう。

 

人を幸せにしたいという思いが起こした行動

普段はあまりテレビを見ないのですが、早めに寝た関係で、夜目が覚めてテレビをつけたところ、連合赤軍のことが放映されていました。
象徴的な戦いとなった「浅間山荘事件」からすでに四七年、半世紀経過し、テレビや新聞で見たことのある名前の元兵士が出演していました。
当時二十歳前後、時折見せる鋭い眼光は残るものの、今七〇歳近くの好々爺になっていました。

彼らは、総括と称する殺人を行い、服役後、苦労しつつも学生運動とはかけ離れたそれぞれの市民生活をしてきたようです。
インタービューを聞いて感じたことは、彼らはもともと過激な思想をもっていたのでもなく、決して殺人をするために集ったのでもなく、純粋に世の中を良くしたい、だれでもが幸せに暮らせる平等な社会を築きたいとの強い思いで運動に参加したということです。
彼らのやったことは、決して許されることではありません。
償っても償いきれないものがあります。
法的な償いは終わったとは言え、今彼らが、普通の(??)市民生活をしていることが私には不思議でなりませんでした。

番組の中で印象的な言葉がありました。
闘士の一人が親戚のおじさんから当時言われたことらしいのですが、「お前たちは理想を掲げ、どこにいるかわからないひとのために、世の中を良くしたいと言っているが、お前の周りの一人でも幸せにしたか、多くの人を不幸にしてきたのではないか。どこにいるかわからないひとよりも前に、すぐ近くにいる人を少しでも幸せにすることが大切なのではないか」。
出演者の中には、今でも当時の考えは間違っていなかったとする者と、間違っていたとする者がいましたが、人がどのように考えるかは他人がコントロールすることはできません。

 

様々な思いの中で「何のために生きるのか」

日本の学生運動は、大正デモクラシーの時期に始ったと言われています。
代表的なに、反戦運動、学費値上げ反対運動、学生会館の自治要求、反差別への取り組みなどがあります。
最も盛り上がりを見せたのは、一九六〇年の安保闘争、六八年―七〇年の全共闘運動大学紛争の時期でありましたが、それ以降は、社会が豊かになったことでの政治離れ、内ゲバなど過激な運動への忌避から下火となったようです。

私は、学生運動が華やかりし時代から五年ほど後の人間で、大学生になるころにはずいぶんと下火になっていました。
高校のころ、運動家に同行して集会に行ったときの異様な雰囲気を経験したこと、大学入学直後に、運動家らしい人物が教授に食って掛かるのを見かけた程度でした。
もし、五年早く生まれていたら、もしかしたら学生運動の闘士になっていたかもしれません。

と言いますのも、私の人生は、学生時代も社会人になってからも、常に、いろんな疑問、自分との闘いの連続だったように思うからです。
常に、乾ききった自分のこころをみたしてくれるものを探し求めていたように思います。
幸いなことに、それは、中村天風氏、安岡正篤氏、月刊誌「致知」に触れる機会につながり、また、両親の生き方そのものが、その時々の心の渇きを潤してくれました。
素晴らしい言葉や生き方に触れ、素晴らしい両親に育てられたことを感謝し、その時は、「ああこれで一生思い悩むことなく生きていける」と思うのですが、それも束の間、すぐに次の問題が生じてきます。

箱根の温泉につかりながら、「ああ俺はいったい何のために生まれてきたのだろう」と、この年になっても考える日々であります。
なんのために生きるのか、なにを心のよりどころにして生きるのか、なかなか答えの無い難しい問題でありますが、今、佐藤一斎 『言志四録』を読み返してみたい気持ちになりました。

 

加藤合同国際特許事務所
代表・弁理士 加藤 久

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