open

『徒然草 無常観を超えた魅力』

 

 

「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」。
中学・高校の古文の授業で暗唱された方も多いだろう。
二四四の章段からなる兼好法師(吉田兼好)の「徒然草」は、その読みやすさから、古文の入門文としてよく取り上げられている。

「徒然草」といえば、「無常の文学」「随筆」と教えられ、そういったイメージを大多数の方がお持ちであるだろう。
ところが、「徒然草」は誕生してから七〇〇年以上の歴史のなかで、さまざまな読まれ方をしてきた歴史がある。
たとえば冒頭の「つれづれ」ひとつとっても、「退屈だ」という意味で解釈されていた時代もあれば、「寂寥」と解釈された時代もある。
そもそも「つれづれ」に「徒然(とぜん)」と漢字をあてたのも、後年になってからである。

徒然草には「秘伝」が隠されていると、仰々しく読み継がれていたこともあれば、恋の指南書として読まれていたこともある。
儒者も、国学者も、僧侶も、それぞれの立場から「徒然草」を解釈し、講釈してきた。
徒然草は、時代時代によって、実に多様な解釈、多様なシーンで読み継がれてきたのである。

古典にあって現代文学にない魅力のひとつは、「読み継がれてきた歴史がある」こと。
同じ作品でも、時代によってさまざまに解釈されてきた歴史が、そのまま作品を豊かにしているのだ。七〇〇年の時を超えて愛され続けた名著の解釈の変遷を辿ったうえで、あらためて現代の価値観で読み直すのもまた一興であろう。

(株式会社梓書院 前田 司)

よく読まれている関連記事