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第55回 人類はこの先どこに行くのだろう

新しい様々な病

有史以来人類の叡智は様々な文明を産みだし、人の生活を豊かにし、病気や自然災害、また様々な外敵から生命や財産を守ってきた。
しかしながら、今のように、文明が高度に発達しても、病気は根絶するどころか、今までになかった新しい様々な病が生まれ、「一〇〇年に一度」とか「いまだかって経験したことがないような」という言葉が毎年のように聞かれるようになった。

むろん人類は自然をコントロールすることなどできないのであるが、今後さらに文明が発達したその先には、自然の驚異に対し、どのような世界が出現するのであろうか。
知り合いの元大学教授から以下のような話を聞いたことがある。
その教授の学生時代には「無限希釈」という言葉が学問の世界にあったそうだ。
どういうことかというと、「海に流してしまえば、どんな有害な物質でも、無限に希釈、薄められ無害になる」という思想だそうだ。
わずか数十年前、最高学府でそのようなことがごく当たり前に論じられていたのはまさに驚くべきことである。

人間の欲

人類の叡智は、様々な便利なものを産みだし、生活を豊かにした。
例えば、自動車や飛行機は、それまで人の力だけでは到底いけないところまで行くことを可能にした。
これは大変素晴らしいことである。
が、一方でその自らの叡智により、人類を破滅の方に向かわしているのかもしれない。
有毒物質も海に流せば無害になるという悍ましい考えが招いた地球環境の破壊と、人間がだれでも持っている「欲」が招く、大きくは国家間、小さくは個人間の大小さまざまな争いは、おそらく人類が滅びるまでなくなることは無いであろう。

さて、そのような世の中を、我々はどのように生きていけばよいのだろうか。
世の中には人の力ではどうしようもないことが時々起きる。
コロナにしても、繰り返し繰り返し発生する洪水にしても、自然の力は人間の叡智をはるかに超えたところにあるように感じる。
目の前で多くの生命や大切な財産が、なすすべもなく跡形もなく消えていく。
ただ、それは、原因があって結果があるのであって、その原因を作ったのは紛れもない人類であり、それはしっかりと受け止めるしか仕方がない。

そのような中で私自身どのように生きていけばよいのか迷うことも多いのだが、やはり、自分の心に従い、自分が考える、清く正しく生きるしか方法はないように思う。
そこには両親の生き方や、生き様、うまれてからかかわった様々な人の生き方が大きく影響し、生き方は人によってさまざまであろう。

別の視点から考える

弱い人間である私は、困難を乗り越えるために、今までいろんな書籍や人物から生きる知恵を学んだが、そのような人間の知恵だけではどうしようもないことがある。
そのようなときは、「神様だったらどうするだろう」と考えることにしている。
たしか本山博氏だったか、彼の著書で「神様のまねをして生きる」という言葉に出会い、大きな衝撃をうけたことを記憶している。
そもそも、我々人間自体、神様がおつくりになった自然の産物そのものであり、山や川などの俗にいう自然と何ら変わりはないので、人間は自然と対峙する存在であるかのように考えるのは間違いだと私は思う。

そのような人間が、神様を恐れず暴走しだし、まるで自然をコントロールできるかのように錯覚したところから、破滅の道が始まっているように感じる。
尤も、それも神様が人類を誕生させた時からプログラムされたことかもしれない。

我々は、神や自然を離れて存在することはできず、我々自身が、神であり、自然であることをしっかりと認識するところから、心安らかな生き方ができるであろうと思う。
近頃、良い言葉にであい、「あっそうか」と一人合点している。

神の道は生活の道である。
神の道は教義ではなく、
戒律でも、
学問でもなく、
清い魂と明るい心をもって、
正しく素直に生きていく生活の道である。

加藤合同国際特許事務所
代表・弁理士 加藤 久

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