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秋月藩の財政を支えた川海苔の伝統製法を約230年間守り続ける

老舗の知恵
合資会社 川茸元祖 遠藤金川堂 17代目 遠藤 淳 氏

清流にしか自生しないスイゼンジノリを食用に加工する技術を開発して、約230年にわたり創業当時の製法を守りつづける合資会社川茸元祖遠藤金川堂。
同社は、環境変化や自然災害などで朝倉市の黄金川でしか自生しないスイゼンジノリを守り、日本の食文化を伝えつづけることが企業としての使命と位置付ける。

戦国武将・浅井長政に仕える

「川の環境と生態系を守り、天然の「川茸(かわたけ)」から作る海苔を後世に伝えることが私どもの使命」と語るのは、川茸元祖遠藤金川堂の17代目当主・遠藤淳氏である。
「川茸」とは、淡水に生息する「スイゼンジノリ」という藍藻のことである。
スイゼンジノリは、オランダの植物学者スリンガーが1872年(明治5)、熊本市の水前寺成趣園の池で発見し、世に発表したことからその名がつけられた。
数か所のきれいな川で生息が確認された例もあるが、食用として自生するスイゼンジノリが収穫できるのは、朝倉市を流れる黄金川の一部だけとなった。

遠藤金川堂は、約230年もの間、このスイゼンジノリを伝統の製法で加工・販売する老舗である。
遠藤家の歴史をさかのぼると、戦国時代に須川城(滋賀県米原市須川)を居城に須川山一帯を治めていた豪族で、北近江を治める浅井家に仕えていた。
遠藤直経(なおつね)は、戦国武将として浅井長政が幼少の頃より相談役を務めるていたようだ。

親子2代、25年かけて製法を確立

1570年(元亀1)、姉川の戦いで浅井長政が織田信長に敗れ、直経も討ち死にしたことで、遠藤家は幾つかに分かれた。
そのうちの一家で、17代目・淳氏の先祖が秋月氏を頼り、この地に移り住んだ。
遠藤家は秋月氏の庇護のもと、身分を隠して生き延びる。
江戸時代に入ると黒田家が支藩「秋月藩」を置く。
遠藤家は御用商人として秋月藩から取り立てられ、酒造業などを営み藩の財政を支えた。

幕府の政策や自然災害などにより大名家や士族は経済的に困窮するようになる。
秋月藩8代藩主・黒田長舒は事態を打開するために、米以外に特産品をつくり外貨を獲得しようとする。
長舒の命を受けた商人たちは、藩の窮地を救うため懸命になった。
1763年(宝暦13)、7代目・幸左衛門は領地を流れる東川で「不思議な海苔が採れる」という話を耳にする。
海苔を食した幸左衛門は「香味雅淡なるを以て必ず用うる処あるべし」とほれ込み、この海苔を「川茸」と名付けると板状のノリに加工する製法を研究し始めた。
試行錯誤を繰り返すが、なかなか完成には至らない。
息子の喜三右衛門は意志を継いで研究を重ね、25年後の88年(天明8)に独自の製法で乾燥海苔をつくりあげることに成功した。

93年(寛政5)喜三右衛門は出来上がった海苔を藩に献上した。
藩主・長舒は喜び、その乾燥海苔を「壽泉苔(じゅせんたい)」と名付け、川茸の生産を独占的に行う権利を遠藤家に与えた。
藩はこの貴重な特産品を守るため、『献上品につき、川に入って川茸や魚を捕ってはならない』と彫った石碑を黄金川の畔に立て、厳重に川を守った。

幕府や宮中への献上品

「壽泉苔」は、将軍家や宮中にも献上され、秋月藩の特産品として江戸や上方に送られた。
川茸そのものが貴重品であることから、当初は高級品として珍重されたが、その後、江戸時代のレシピ本でも紹介されるなど庶民が口にできるまでに広まった。
藩の財政再建に貢献した「壽泉苔」を長舒は高く評価し、東川を「黄金川(こがねがわ」に改称したという。

川茸は水の流れでゆっくりと転がりながら成長する。
それを網で収穫するのだが、昔は、川に菖蒲を植えて、そこにたまった海苔をすくい取っていた。
収穫時期は3月初旬から8月上旬頃まで。
収穫した川茸は、水でさらし人の手で丁寧に不純物を取り除きながら、選別した後にすりつぶす。
それを平らな瓦の上に塗って1日乾燥させ生乾きの状態にした後、今度は反った瓦に張り替えて3日乾燥させる。
海で収穫された海苔は、和紙と同じように海苔簾(のりす)で乾燥させるが、川茸の場合は素焼きの瓦を使う。
創業以来変わらない伝統の手法だ。
最後に磨いて光沢を出すと「壽泉苔」が出来上がる。
近年人気の高い生の川茸も、選別して樽で塩づけするなど1週間ほどかけて商品になる。

環境を守り日本の食文化を伝えることが使命

「乾燥機などを使えば効率化できるのでしょうが、味や食感を引き出すためには、自然乾燥でゆっくりと時間をかけて仕上げるのにこだわりたい」(17代目)と昔ながらの製法を守り続ける。

スイゼンジノリは、江戸時代でも限られた地域でしか採れなかった希少なものだ。
そのため、大正時代には国の天然記念物に指定された地域もあるが、自然破壊や環境の変化などで自生する地域が激減し、現在、自然に自生しているのは「黄金川」だけとなった。
黄金川でも水害などで、一時期は最盛期の1/20程度にまで減少したこともあったという。
「地域の人たちの協力のおかげで徐々に回復していますが、水質や水温、水流といった川の状態、それに生息する微生物や魚、植物などの生態系の影響も受けます」と遠藤氏は語る。

黄金川の生態系を維持することは以前にもまして難しくなっているが、「川茸を守ることは、日本の食文化を守り自然を守ること。川茸が生息できる環境を守り続けることが最も大切な使命」と、地域の人々や「黄金川を守る会」といった協力団体の協力なども得ながら生態系を守り続ける。
加えて、佃煮や地元の豆腐店と一緒になって豆腐の味噌漬け、こんにゃく等、新しい商品開発や異業種との連携にも取り組んでいる。

川茸は美しい環境に恵まれた秋月だからこそ生まれ、日本の食文化を200年以上も支えてきた伝統的な食材である。
遠藤金川堂の事業は伝統を守ることでもある。
これからも長く、日本の食文化の灯を守り続けて欲しい。

 

 

会社概要

名   称 合資会社川茸元祖 遠藤金川堂
創   業 寛政5(1793)年
代   表 遠藤 淳(17代目)
住   所 福岡県朝倉市屋永2949
TEL.0946-22-2715
事業内容 淡水ノリの製造販売
U   R   L   https://kawatake-endo.com/

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