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父より3人の子供たちへ(その①)

お前たちも人生の半ば、30代となったから、今まで多くの喜びや、悲しみ、苦しみを経験してきたとは思うが、一度たちどまり、真剣に、自分の人生とは何かについて自分のあたまでとことん考えてみるとよい。
私は人生の黄昏時となり、自分の今までの経験で、お前たちのこれからの生き方に役立つことは、できるだけ伝えたいと思う。

いつも話す「致知」6月号のテーマは「汝の足下を掘れ そこに泉湧く」。
ここに生き方の神髄が出ているように思う。
古くは、メーテルリンクという作家の「青い鳥」も同じようなことを教えている。
決して人をうらやまず、自分のすぐ近くに、幸せはあると言うことだと思う。
人と比較したり、うらやむことが不幸を産む原因になる。

私は、そのときどきに、自分では達成できないような目標をもって生きてきた。
そのおかげで、最初は到底できないように思えた空想事でも、そのいくつかは実現することができたように思う。
目標が明らかになり。それが世の中の役に立つことであれば、間違いなく、神様を味方につけることができ、自分でも信じられないほどのパワーがでてくるものだ。
なぜ自分はこの世にうまれてきたのか、どのように生きるべきか等々、楽しみながら考えたらよい。

ある人に言わせると、生まれる前に自分の意思で、あの両親のもとに生まれる、このような人生を送ると決めて、この世に生まれるらしい。
ただ、その記憶は生まれてしまうと消されて自分には残されるそうだ。

私の考えは、記憶は消され結局はなんのために生まれてきたかわからないのであるなら、人生の目的は、現世の自分自身で作りださなければならないということである。

こういう人生にしよう、このように生きようと、勝手に自分自身で最高のシナリオを作るのである。
これはどのような境遇の人にも、平等に与えられている。
病気や貧困の中で一生終わる人もいれば、病気や貧困に打ち勝って素晴らしい人生を築く人も沢山いる。
むしろ困難を持つ人の方が素晴らし人生を歩いているように思う。
ぼんやりとではなく、1枚の絵に描けるように明確に人生の目的とする姿を思い描くことができれば、それは多くの困難に打ち勝つエネルギーとなり、高い確率で自分の思い描いた通りの姿を達成することになるように思う。

それだけ、「思う」ということは大切なことなのだ。
単純に考えてみても、およそこの世の中に存在するすべてのものは、だれかが「作ろうと思った」ものばかりである。
作ろうと意識せずして、この世に存在するものなど1つもない。
だから、お前たちには、今の境遇がどうであれ、そんなことには関係なく、「こうありたい」「こうなりたい」という理想の姿をしっかりと考え、その強烈なイメージを作り出してほしいと思う。
逆にけして悪いイメージを持ってはいけない。
最初のうちは、お金持ちになりたいとか、良い車にのりたいとかが出てくるかもしれないが、だんだんと真に求めているのはそういうことではないことに気づく。
そして、自分自身の人生のゴールのイメージを自分なりにしっかりと描いてほしい。

もし、それで思った通りにならなくても、失敗しても、後悔しても、全力で生きたのであれば、それはそれでよいではないか。
それは誰に恥じることもない、立派に人生を生き抜いたことになろう。

加藤合同国際特許事務所
代表・弁理士 加藤 久

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