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父より3人の子供たちへ(最終回)

そう考えると、お金も「ほどほど」が良いのかもしれない。

だが、その「ほどほど」が、また実に難しい。

 

前にも言ったが、今の日本では、いざとなれば国が最低限の生活を保証してくれるので、お金のことで、必要以上に恐れる必要など無い。

最悪死んでしまえば、この世の苦しみは全て消えてなくなるから、なおさら心配することはなにもない。

 

お金を大切に活用し、余力があれば、少しでも困っている人のために使うようにしたらよい。

それも恩着せがましくではなく、使っていただくという謙虚な気持ちが大切である。

 

何かを前向きにやるためには必要最低限使い、決して浪費はせずに、人よりもむしろ慎ましい生活をして、少しでも社会に役立つことをやることだ。

そうすれば、神様の銀行に無限の貯金が蓄積され、何か困ったときは、必ず神様や誰かが助けてくれるようになる。

そして、神様の銀行にたまったお金には税金も一切かからず、大きな利子がついて、子々孫々に永遠に受け継がれることになる。

 

私やお前たちが、今こうして人並みの幸せな生活を送れるのは、自分たちの努力もだが、お爺ちゃんが、神様の銀行に貯めてくれた「利子」によるところが大きいように思う。

 

人生目標を明確にしても、神様はそう簡単には目標には到達させてはくれない。

充実した人生とするために、いろんな試練を次から次に与えてくれる。

だから、判断に迷う人生の岐路にたったときには「神様ならどうするだろう」と考えることだ。それが難しければ「お爺ちゃんならどうしただろう」と考えることだ。

 

小賢しい理屈は捨て去り、神様やお爺ちゃんのまねをして、神様が喜ぶように生きると、如何なる困難にも動じない安らかな心が得られるように思う。

 

生きると言うことは、ある意味、修行であり、多くの苦しみを味わうことでもあるが、それでも、自分の考える「自分の人生の最善のシナリオ」を明確にし、それを信じて、如何なる困難にも喜んで立ち向かい、感動の多い、幸せな人生を築いてほしい。

 

最後に私が考える不幸の原因について伝える。

それは、自分と他の人を比較することだと思う。

他人を羨み、妬むことこそ、自分を不幸にする1番の原因である。

この世に生きる限り、他者との依存関係はなくならない。

そうであるから、どうしても、自分と他者とを比較しようとするが、そのことが不幸をうむことになるようだ。

 

人と比べ、あのようになりたい、あの人よりも良い生活をしたいと思うことは、努力を産むことになるので決して悪いばかりではないが、度をすぎると、おかしな話になる。

 

これは、仏教でいうところの「自他合一」や「一元絶対」の境地であろう。

「自他合一」「一元絶対」とは、自分と他との境をなくすこと、すべてが一体であるということだ。

自分はあなたでないし、あなたは自分ではい、わかりきったことである。

それを超えて、私たちのあらゆる価値判断も、愛や憎しみやその他のあらゆる感情や行動も、1つ大きな次元から見て、自分と他者が一体であることを感じることが必要なのであろう。

それを追求することこそが、生きるということの意味なのかもしれない。

 

どのような状況であれ、自分が今置かれている立場を前向きに捉えることができれば、必ずそこには自分の居所があり、幸せな充実した人生とすることができると私は思う。

 

加藤合同国際特許事務所
代表・弁理士 加藤 久

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