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暗闇の中でこそ、小さな灯りは輝く

 

ここでも幾度となくご紹介した「致知」は不思議な雑誌です。

読み返してみると、いつも、初めて見るような新鮮な感動があるのです。

おそらくその時々の私の心の状態で、同じ内容でも感じることが違うのでしょう。

 

本年7月号(実際手元にとどいたのは6月)の1つの文章が目に留まりました。

「一灯破闇」(いっとうはあん)、陶芸家、河井寛次郎の創作になる四字造語です。

「真っ暗闇の中の灯りが闇を破る」転じて「真っ暗闇の中でも、1つの灯りがあるだけで救われる」ということのようです。

 

将棋の第15代名人、大山康晴は、この言葉を生涯の銘としたそうです。

形勢が悪くなり、あきらめようかと弱気が出てくる。

そういうときにこの言葉を思い出し盤上を見直すと、一灯闇を破る手が浮かんでくると言っています。

 

話は変わりますが、私は職業柄、特許権侵害の裁判があります。

裁判は、一方(例えば原告)が主張し、これに対して他方(被告)が反論し、また新たな主張をする、その繰り返しです。

その意味で将棋の指し手と同じです。

 

裁判でいつも感じるのは、立場が違えば捉え方が大きく異なるということです。

いつも「ああ、そんな捉え方があるのか」と驚かされます。

中には、相手の主張に対してどうも反論できないことがあるのですが、そのようなときに、ちょっと見方を変え、例えば、相手の立場に立って考えると、不思議や不思議、いろんな反論のヒントが出てくるのです。

まさに真っ暗闇の中で見るひとすじの灯りです。

 

大山名人は、どうにもならないと思われる窮地において、「一灯破闇」を思い出し盤上を見直すと、盤上の駒の位置は、弱気の時と寸分かわらないのに、あきらめかけた気持ちでは到底思いもしないような手が浮かんでくるのでありましょう。

 

会社の倒産や、生死にかかわるような病気、人生で起きる様々な苦難に対して、それを乗り越え、さらに大きくなった方の経験に学べることは、いずれも、本来ならば苦しくてたまらない、逃げ出したい、誰かを恨みたいのが正直な気持ちの中で、見方を変えることで、そこに活路が見えることではないかと思います。

それこそが、真っ暗闇の中の一灯ではないかと。

 

したがって、一灯破闇の一灯は、だれにでもいつでも常に自分自身の心にある、一筋の灯りなのだと私は思います。

その「一灯」は常にあるのだけれど、明るいときには気づかないのです。

 

私のいくつかの経験を述べましたが、いずれにも共通しているのは、人生において避けることができない様々な苦難に際し、「見方を変えることの大切さ」だと思います。

窮地において「見方を変える」ことはそう簡単なことではありませんが、まずは、「物事には様々な見方がある」ことを知るということではないかと思います。

 

中村天風は、「お腹が痛いときに、それは自分のお腹ではなく、他の人のお腹が痛いのだと思え」と言っています。

痛みの中にいると自分が客観的に見えないことの戒めでありましょう。

 

このような素晴らしい記事が多い致知を是非1人でも多くの人に読んでいただきたいのですが、無論無理強いするのではなく、本人がその気にならなければ全く意味がありません。

 

加藤合同国際特許事務所
代表・弁理士 加藤 久

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